1999年10月

6歳7ヵ月の男の子(2年保育)──あんず保育園 園長 椛山 小夜子
  広島市内の幼稚園に通園していたが、登園拒否をするようになり、保育園近くへ母子転居してまでの入園。
  当時は、仲間との交わる力が弱く(集団からはみ出し好き勝手)、リズムでのスピードがない、低筋張、手、うでの力が極端に弱い。絵は、5歳半まで迷路、信号、マークなど描き続ける。年長児になって毎日の雑巾がけをしない、要求すると、イジけカンシャクを起こす。が、めげずに要求しつづけた。こんな中、どんな時も手出し口出しせず、保育園を信頼してくれ、方針をしっかり受け止め、園を気持ち良くささえてくれた母親であったことが、後半大きく変わっていく力となった。
  なかでも苦手なまりつきをさける本児を1人でおとまりさせ、おちついて課題へとり組ませていくと出来るようになった。そのことで自信をつけ側転の足もあがりはじめた。
  生活の面でも、いじけさせず、少しの変化を認め、やればできることをわからせていった。
  本児をとおし、どの子も素敵になりたいと思っていることを学ぶことができた。
  この絵は、卒園式3日前、黄金のかもしかを他児とは全く違う場面を、じっくりと描きあげ、自信にあふれた卒園式をしていった。